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尼崎歴史博物館で「細川高国・三好長慶・佐々成政」企画展 尼崎との関わり紹介

初公開となる細川高国の書状。近江の武士に出兵の協力を求めた内容で、1509(永正6)~1510(永正7)年ごろの物と推定されるという

初公開となる細川高国の書状。近江の武士に出兵の協力を求めた内容で、1509(永正6)~1510(永正7)年ごろの物と推定されるという

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 企画展「尼崎を駆け抜けた戦国武将 細川高国・三好長慶・佐々成政」が現在、尼崎市立歴史博物館で開催されている。

三好長慶の禁制を記した文書

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 戦国武将の細川高国、三好長慶、佐々成政(さっさなりまさ)を取り上げる企画展。尼崎との関わりやそれぞれの足跡が分かる史料約60点を展示する。

 細川高国は、室町幕府の管領(将軍に次ぐ役職)・細川政元の養子となり、共に養子となった澄之、澄元との家督争いに勝利し自らも管領となった人物。幕府を主導したが、後に澄元の子・晴元とその家臣・三好元長が挙兵し、高国は敗北。潜伏していた尼崎で捕まり、当時大物にあった広徳寺(現在は寺町に移転)で切腹したとされる。この戦いは「大物崩れの戦い」と呼ばれ、市内には戦跡の石碑も残る。同展では、初公開となる高国の書状や、高国と澄元の合戦の様子を叙述した「管領記」写本などを展示する。

 元長の子で晴元に仕えた長慶は後に主君の晴元を近江へ没落させ、一時畿内や四国を支配したことから、織田信長が現れる前の「天下人」ともいわれている。三好氏と尼崎は関わりが深く、市内にある本興寺や大覚寺には禁制や書状が伝わる。同展では、長慶が「範長」と名乗っていた時代に発した禁制を記した文書などを展示する。

 佐々成政は、信長に仕え、精鋭部隊「黒母衣衆(くろほろしゅう)」筆頭となった武将。柴田勝家の指揮下に入り、荒木村重が籠城する有岡城(伊丹市)攻めにも参陣した。本能寺の変を経て豊臣秀吉と敵対したが、その後降伏。1587(天正15)年の九州攻めに参加し、軍功を評価され肥後国の領主に抜擢された。しかし、すぐに「肥後国人一揆」が勃発。鎮圧したものの秀吉からその責任を問われ、釈明に向かう途中、足留めとなっていた尼崎で切腹した。切腹の場となった法園寺(現在は寺町に移転)には、「佐々成政供養塔」が立つ。同展では、法園寺が所蔵する「佐々成政画像」(市内初公開)や、佐々成政墓石拓本などを展示する。

 同館学芸員の楞野(かどの)一裕さんは「昨年に高国の書状が見つかったのをきっかけに、尼崎に関わりのある武将3人を紹介する展示を企画した。『尼崎にこんな歴史があったんだ』と知ってもらえたら」と話す。

 開館時間は9時~17時(入館受付は16時30分まで)。入場無料。月曜休館。6月18日まで。6月17日には、学芸員が展示解説「ギャラリートーク」を行う。開催時間は14時~15時。当日先着20人限定。

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